蜃気楼のように

ヤフブ時代の遺留品

中原淳一展

もう一か月も前になってしまったけど、梅田の阪急百貨店で「中原淳一展」があった。
私が子供の頃、と言うより母が子供の頃から活躍していた挿絵画家だ。
50代以上の女性なら誰でも一度は、この人の絵を見ているだろう。

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記憶違いだったら申し訳ないけれど、このポスターに載っている
右下の人物のモデルは、若い頃の美輪明宏だったと思う。


作品は撮影禁止だが、淳一がデザインしたドレスの撮影は可。
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私には着られませんが…
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こんなドレスに憧れる。。。
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淳一の画室が再現されていて、壁に掛かっていたイラスト。
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小ぶりのクリア・ファイル
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絵はがきセット。私はこんなイラストをよく真似して描いていた。
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これは竹久夢二の絵柄のハンカチ。
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うちにある「別冊太陽 絵本Ⅱ」(昭和59年)に中原淳一の特集も組まれている。
その最後に息子の中原蒼二氏が寄せた文章が載っている。

前文略
しばしば、中原淳一の芸術性が取り沙汰される。挿絵画家として出発し、
ジャーナリストであり、エディターであり、ファッションデザイナーであった父が
批評家に賞められることはないとしても、そんなことはかまわないと僕は思う。
大衆に喜ばれ、愛され、支持されたことが中原淳一の世界だった。
そしてそのことこそが中原淳一の芸術であったと思えるからだ。(以下略)